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Käännös - Turkki-Japani - BERAT CEYLAN hayatının tümünü bir ada ÅŸehrinde...

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Kategoria Sana - Kulttuuri

Tätä käännöstä pyydetään ainoastaan merkityksen osalta.
Otsikko
BERAT CEYLAN hayatının tümünü bir ada şehrinde...
Teksti
Lähettäjä slayer3421
Alkuperäinen kieli: Turkki

BERAT CEYLAN hayatının tümünü bir ada şehrinde geçirmiştir.
Huomioita käännöksestä
ERKEK için ibranicede.

Otsikko
ベラット・ジェイラン
Käännös
Japani

Kääntäjä cesur_civciv
Kohdekieli: Japani

ベラット・ジェイランはその終生を、とある島の町で過ごした。
Viimeksi tarkastanut tai toimittanut cesur_civciv - 17 Huhtikuu 2008 21:03





Viimeinen viesti

Kirjoittaja
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2 Toukokuu 2008 07:56

IanMegill2
Viestien lukumäärä: 1671
cesur_civcivさん, お世話になります。
ちょっとお伺いしたいんだけど、和訳の

...その終生を、とある島の町で過ごした。

の「と」とは、ここではどういう意味ですか?

2 Toukokuu 2008 08:14

cesur_civciv
Viestien lukumäärä: 268
こんにちはMr.Ian、
言語学の知識をもっていないので、文法的な説明はできないのですが、「とある」は「ある」と同じ意味で使われます。他に「さる」も「ある」の代わりに使われます。

最初に訳した際、「ある」を使ったのですが、次に続く「島」が短い言葉だということで長さのバランスをとるため、それから「とある」とした方がより“物語的”かつ“文学的”な響きがあるため、こちらを選びました。

例えば物語の書き出しなどで、
「とある町の、とある家族の物語」なんていう使い方ができます。
ここを
「ある町の、ある家族の物語」とすると、色がないというか、イメージが膨らまないというか、平板で無機的な印象が強くなります。
というわけで、「とある」の方が物語的イメージを膨らませる効果がありますが、事務的な文章にはふさわしくありませんので、実務翻訳などでは使えません。小説などにはokです。

3 Toukokuu 2008 03:43

IanMegill2
Viestien lukumäärä: 1671
cesurさん、ありがとう!
やっぱり「ある」という意味でしたね。
そうだと思ってたが、初めて聞いた言い方だったんで、どうしてかなぁと思ってただけ。
お陰でこれでよく分かった!